東京地方裁判所 昭和40年(行ウ)70号 判決 1968年4月25日
原告 板橋順
被告 玉川税務署長
訴訟代理人 川村俊雄 外三名
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一当事者の申立て
一 原告
「被告が原告の昭和三七年分所得税につき昭和三八年一〇月三一日付でした更正処分を取り消す。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求める。
二 被告
主文同旨の判決を求める。
第二原告の請求原因
原告は、株式会社文化放送の一部門である日本フイルハーモニー交響楽団(以下「日本フイル」という。)の正楽員たる身分を有するバイオリン演奏家であるが、昭和三七年中に右日本フイルから九三万六、三五九円、日本グラモフオン株式会社から一万九、七二一円、日本コロンビア株式会社から八、八八八円、株式会社新音楽協会から一万二、六〇〇円、以上合計九七万七、五六八円の収入を得たので、その全部を事業所得として、被告に対し次のとおり昭和三七年分所得税の確定申告書を提出した。
申告書提出年月日 昭和三八年三月九日
収入金額 九七万七、五六八円
必要経費 三四万二、一四八円
所得金額 六三万五、四二〇円
税額 三万〇、八〇〇円
源泉所得税控除額 六万二、五三二円
差引還付請求額 三万一、七三二円
ところが、被告は、昭和三八年一〇月三一日、右収入金額のうち、日本フイルからの収入を給与所得とし、日本グラモフオン株式会社外二社(以下「日本グラモフオン等」という。)からの収入を雑所得として、次のような更正処分をした。
給与所得金額 八一万六、三五九円
雑所得金額 三万〇、九〇六円
総所得金額 八四万七、二六五円
税額 六万三、五四〇円
源泉所得税控除額 六万二、五三九円
差引納税額 一、〇〇〇円
右更正処分に対し、原告は不服申立期間内に被告に異議申立てをしたが、三箇月を経過したので右申立ては東京国税局長に対する審査請求とみなされ、同局長は昭和四〇年三月二四日請求棄却の裁決をなし、その裁決書謄本が同月三〇日原告に送達された。
しかしながら、本件更正処分は後記の諸点において違法であるから、その取消しを求める。
第三被告の答弁及び主張
一 原告主張の請求原因事実は、本件処分が違法であるとの点を除き、すべて認める。
二 本件更正処分の理由は次のとおりである。
(一) 所得の種類について
旧所得税法(昭和四〇年法律第三三号による改正前のもの。以下同じ)第九条第一項は、個人の所得をその発生の態様に応じて一〇種類に区分し、「俸給、給料、賃金、歳費、年金、恩給及び賞与並びにこれらの性質を有する給与」を給与所得とし、「商業、工業、農業、水産業、医業、著述業その他の事業で命令で定めるものから生ずる所得(山林所得及び事業用の固定資産の譲渡に因る所得を除く)」を事業所得としており、右の事業所得における事業の範囲については、旧所得税法施行規則(昭和四〇年政令第九六号による改正前のもの以下同じ)第七条の三が「対価を得て継続的に行なう事業」と定めているが、この給与所得と事業所得との所得区分の究極的な基準は、当該所得が雇傭契約にもとづいて非独立的に提供された労務に対する報酬及び実質的にこれに類する所得であるか、それとも自己の責任と計算とにおいて独立して行なつている継続的企業活動によつて得られたものであるかという点にあると解される。したがつて、たとえば同じ医師の所得でも、それが他の病院等の経営主との雇傭契約等にもとづいてその病院の医療業務に従事したことに対する報酬であれば給与所得となり、雇傭契約等にもとづかずに独立して医療業務を遂行したことに対する報酬であれば、それが社会通念上事業と認められる程度の継続性と客観性をもつて行なわれているかぎり事業所得となるのであつて、このことは原告のような音楽家の場合にも全く同様である。
そこで、まず、原告の日本フイルからの収入についてみると、右収入は、原告が日本フイルとの契約にもとづき同楽団の楽員として演奏活動をしたことによつて得たものであるが、その契約によると、原告は、楽団運営規程の定めるところにより、日本フイルの行なう放送、演奏会、オペラ、バレエの伴奏、地方公演、レコード録音その他これに附随する練習に従事することを義務づけられ、運営規程に定める勤務、休暇、欠勤、休職、表彰、制裁等の服務規律に拘束される一方、右の労務に対し毎月二五日に定額の基準賃金及びその他の手当の支給を受け、楽団の用務で出張する場合には、出張旅費規程による旅費(交通費、日当、宿泊料)が支給されることになつている。そして、なお、新たに入団した楽員は勤労所得控除申請書(給与所得者の扶養控除等申告書に当るもの)を提出すべきものとされ、また、原告は毎月の賃金から一定額の健康保険料及び厚生年金保険料等を差し引かれている。これらの点からすると、原告と日本フイルとの契約はまさに雇傭契約にほかならず、この契約にもとづいて支給を受けた前記収入が旧所得税法第九条第一項第五号の給与所得に当ることは明らかである。
次に、日本グラモフオン等からの収入についていえば、この収入は、原告が同社等からの随時の必要に応じて随時に演奏を行なつたことに対し、その都度報酬として得たもので、いわゆるアルバイトによる収入である。したがつて、日本グラモフオン等との雇傭契約にもとづく収入ではないという点において給与所得には該当せず、また、継続的な事業による収入でもないから、事業所得に当るとも解されず、結局、同法第九条第一項第一〇号所定の雑所得にほかならないものである。
(二) 所得の計算について
以上のとおり原告の収入を給与所得及び雑所得としてその所得金額を計算すると、給与所得は、日本フイルからの収入金額九三万六、三五九円から所得税法第九条第一項第五号ハ所定の給与所得控除額一二万円を差し引いた八一万六、三五九円となる。また、雑所得は、日本グラモフオン等からの収入金額の合計四万一、二〇九円から必要経費を控除した額となるのであるが、原告は右必要経費算出の基礎となしうる書類等をなにも備えておらず、その具体的内容が明らかでなかつたため、やむを得ない方法として、被告が実態調査にもとづき数理経済学的テストを経たうえで無作為抽出法により作成した「昭和三七年分商工庶業所得標準率」を適用して、収入金額の二五パーセントに当る一万〇、三〇三円を経費と推計した。したがつて、これを収入金額四万一、二〇九円から差し引くと、雑所得金額は三万〇、九〇六円となる。
本件更正処分の根拠は以上のとおりであるから、同処分になんら違法はない。
第四原告の認否及び違法事由の主張
一 原告と日本フイルとの契約条項が被告主張のとおりであること、原告が日本フイルから支給される報酬のうちから毎月健康保険料及び厚生年金保険料を差し引かれていること並びに原告が必要経費算出の基礎となる書類等を備えていなかつたことは認めるが、被告のその余の主張は争う。
二 告の本件収入はすべて事業所得である。
(一) 被告は、原告と日本フイルとの契約が雇傭契約であると主張するが、交響楽団は、その名のとおり、一人の指揮者の下で多数の音楽演奏家が芸術としての交響曲を演奏することを目的とする団体であつて、これに参加した個々の楽員がすぐれた楽器と技術とにより、第一級の指揮者によつて一糸乱れぬ協演を行なうものであり、かくして初めて楽団の声価が高まり、収入も増加する。したがつて、楽団を構成する個々の楽員は各自独立に練習を積むばかりでなく、楽員として互いに切磋琢磨しあい、楽団としての演奏練習にも励む必要があるが、楽団を維持、継続、発展させるためには楽員だけの自治組織だけでは統制しえなくなつたので、今日、交響楽団は組織上財団法人あるいは日本フイルのように放送局の一部門として存立するようになり、更に進んで、右の組織と個々の音楽家との間に楽団参加契約が締結され、楽員となつたかぎり楽団の行なう練習や演奏会等への参加が強制されることとなつた。しかし、楽員にとつてこのような強制があり、多少時間的に拘束らしきものを受けるとしても、それは楽員が楽団に雇傭されたことの結果ではなく、前述のような交響曲の演奏という特殊な目的を有する交響楽団に演奏家として参加したことによる独特の制約である。すなわち、組織としての楽団の側からすれば、一定の時間に所定の練習を積み重ね、演奏団体としての成果をあげるためには、各楽員の最大公約数において練習を行ない演奏会を開く必要があるので、楽団としてのスケジユールを立てなければならず、他方、楽員は練習を重ねて演奏会に出演することが究極の念願であるから、ここに組織としての楽団と各楽員との間に楽団の準備したスケジユールに従つて練習及び演奏会に参加する包括的な合意が成立するわけであるが、右のスケジユールは演奏会の出演を中心として組まれるものであつて、通常のサラリーマンのように七曜表にもとづき、かつ毎日の勤務時間として楽員を拘束するものではない。楽員は、楽団の合同練習及び合同出演についてのみスケジユールに従うことを要求されるにすぎず、それ以外には他社に出演することその他音楽家として自由に活動ないし生活するについて一切楽団から拘束されることはない。しかも、楽員は、演奏出演に必要な楽器及びモーニング等の特殊な服装を自ら準備しなければならず、楽譜代技術研修費等も自己負担で、楽団からの援助を受けることはなく、すべて自己の計算で演奏活動を行なつているのである。このような楽団と楽員との契約をもつて雇傭契約ないし労務契約といえないことは明らかであり、無名の混合契約というほかはない。以上のことは、原告の場合においても全く同様であつて、要するに原告は、バイオリニストとして、あくまでも演奏出演という自己の継続的な事業の一環として日本フイルに参加しているものであり、また、日本フイルにおける演奏活動も日本グラモフオン等における演奏活動も、いずれも音楽家としての右事業活動の一部である点においてはなんら異なるところがないのである。したがつて、原告が右演奏活動によつて日本フイルから得た収入は、雇傭契約にもとづく賃金ないし給与ではなく、交響楽団への参加契約ともいうべき混合契約にもとづいて取得したもので、その性質は、交響楽団の演奏公演による収益の還元金であり、仮に還元金の性質を有しないとしても、原告の芸術価値に対する出演謝礼的な性質をもつ出演料、すなわち演奏出演という仕事の完成後に支払われる請負報酬金であるというべきである。これが毎月定時に支払われるかどうかは右収入の性質を左右するものではない。そしてまた、前記のような日本フイルと日本グラモフオン等における演奏活動の実体の同一性からすれば、原告の日本グラモフオン等からの収入も、右と同様収益の還元金もしくは請負報酬金たる性質を有するものであり、日本グラモフオン等に出演することが従であるかのような外観を呈するからといつて、その収入を日本フイルからの収入と区別して取り扱うべきいわれはない。このようにみてくると、原告の本件収入はすべて事業所得に当るものというべきであり、現に昭和三六年以前においては、原告が同様の収入を全部事業所得として確定申告したのに対し、被告は右申告を是認し事業所得としての課税を行なつてきたのである。
(二) のみならず、旧所得税法は給与所得と事業所得とを区別しているが、ある所得が給与所得であるか事業所得であるかを論ずる意義は、そのいずれであつても課税方法や税率に差異がない以上、もつぱら所得金額の計算に当り当該所得を得るのに要した経費を収入金額から控除することが認められるかどうかの点にある。すなわち、給与所得については、事業所得と異なり、いわゆる給与所得控除が認められる代わりに必要経費の控除が認められていないが、右の給与所得控除なるものは、給与所得者がその所得を得るのに必要な服装費、靴の消耗費、交際費等の経費を類型的に把握して一定の率で収入金額から控除するものであると解される。このことから逆に考えれば、法は、原則として、当該給与を得るのに必要な類型的な経費が給与所得控除額の程度にとどまるものを本来の給与所得としたものであり、右経費が控除額を大幅に超えることが通常であるような職業の者についてはこれを給与所得者として予定していないというべきである。
ところが、本件における原告の収入を給与所得とすると、その給与所得控除額は一二万円であるのに対し、原告が右収入を得るのに要した経費は後記のとおり三四万円以上でありしかも、その内容は、衣服費、靴の消耗費等のほか、音楽家にとつて生命ともいうべき楽器の取得び補修費、研究費等すべて前記の類型的な経費に属するものであるから、この点からしても原告を給与所得者とみることは誤りである。
(三) 更に、職業野球選手の所得に関する昭和二六年直所二―八二、直所五―二三の個別通達によれば、「職業野球の選手の所得については、従来給与所得又は事業所得として扱つてきたのであるが、最近における選手の所得の実態が、(一)選手は球団の指定する野球試合に出場することを約し、これに対し球団から出場契約料、試合出場料の支払を受けるものであり、且つ、当該選手の技術の進歩又は人気の高低に応じその出場料も増減せらるべき性質を有し、一般芸能人の出演契約と何等の差異が認められないこと、(二)試合出場に要する用具等は特定のものを除きすべて選手の個人的負担であること等にかんがみ、昭和二六年分以降の職業野球の選手の所得については、すべて事業所得(サービス業)として取り扱うこと。」と定められている。そこで、職業野球選手と原告ら音楽家とを比較してみると、職業野球選手は年々の契約により参稼報酬を決め、これを月割で支給されているが、右の報酬は当該年度の球団主催の試合に出場し、かつ、これに附随する練習に従事することの対価であつて、原告が楽団主催の演奏に加わり、又は附随の練習に従事することによつて毎月定額の支払いを受けるのと異なるところはないし、両者ともに毎回又は数回分の出場又は出演に対しその都度対価を契約する代わりに、通年契約をしているのにすぎないことも共通である。また、いわゆる職業費については、職業野球選手の場合、遠征に要する切符や宿舎、あるいはユニフオーム等当然球団から支給されるものもあるが、多数消耗する高価な用具は全部自弁であり、栄養補給等にも多くの出費を要するなどとうてい前記の給与所得控除の枠内では賄いきれないため、前掲通達により、給与所得者として扱うことが正当でないとしたものと解されるところ、原告ら音楽家の場合においても同様な関係があることは先に述べたとおりである。そればかりでなく、原告は、通常の給与所得者のように年功序列的な昇進昇給が期待できるわけでもなければ、また雇傭が定年まで半ば確約されているものでもなく、技能又は人気の低下は直ちに翌年の減俸につながるし、契約してもらえないおそれすらあり(原告と日本フイルとの契約は一年限りであり、再契約の保障はない)、その反面、自己の努力によつては通常の給与所得者の昇給率をはるかに上廻るような好条件で翌年度の契約を結ぶこともできる。これらの点もまた職業野球選手の場合に、「当該選手の技能の進歩又は人気の高低に応じその出場料も増減せらるべき性質を有し、一般芸能人の出演契約と何等の差異が認められない」(前掲通達)のと全く同じである。更に、職業野球選手は選手会なるものを組織して球団側とある種の待遇条件等に関して交渉するが、労働組合はなくしたがつて、翌年の参稼報酬をいかにするか、あるいは契約してもらえなくなるかはすべて選手個人と球団との交渉にかかり、各選手は孤立無援である。原告の場合も事情は同様であつて、株式会社文化放送には労働組合があるけれども、日本フイルには労働組合はなく、もちろん原告は他の労働組合にも加入していない。もともと原告は労働組合員たるべき労働者、すなわち労働組合法第三条にいう「職業の種類を問わず、賃金、給料その他これに準ずる収入によつて生活する者」ではないから、労働組合に所属していないのは当然のことである。以上のような職業野球選手の所得との比較においても原告の収入が同じく事業所得に当ることは明らかであり、これを職業野球選手の所得と差別して課税した本件更正処分は憲法第一四条にも違反するといわなければならない。
三 仮に本件所得の種類が被告主張のとおりであるとしても、本件処分は、必要経費を過少に認定した結果所得金額の計算を誤つている。
原告は、昭和三七年中にオーストリヤ大使館員から代金一五万円で中古バイオリンを購入し、これを三年間で償却することとしたほか、服装費(衣裳代)、研究費(有名音楽家の指導を受けたり、演奏を聴いたり、楽譜を購入したりする費用)、演奏旅行自己負担費用(楽団からの交付金で不足する分)、外食費、仕事上の連絡費、時間調整のための費用等を支出したが、これらの経費の明細を記帳していなかつたので、確定申告に当り、他の多くの同業者の例にならい、前記バイオリンの償却費をも含めて総収入金額九七万七、五六八円の三五パーセントに当る三四万二、一四八円を経費として計上した。これらの経費は、ひつきよう原告の音楽家としての活動に要した費用であつて、そのうちのいくらかが日本フイルからの収入のための経費で他が日本グラモフオン等からの収入のための経費であるというように分けることはできないものであるから(たとえばバイオリンなどは常に同じものを使用している)、もし収入を被告主張のように給与所得に分けるならば、給与所得控除額一二万円を超える経費はすべて雑所得の必要経費であるとしなければならない。そうすると、本件の場合、被告のいう雑所得の計算上損失を生ずることになるが、旧所得税法第九条の三第一項は雑所得と給与所得との間においても損益通算をなすべきことを定めているから、右損失を給与所得から控除して総所得金額を計算すべきことは当然である。しかるに、被告は、前記のような経費支出の実際を無視して、単なる所得標準率により雑所得の経費を過少に認定し、ひいて法の定める損益通算を行なわなかつたものであるから、本件処分はこの点においても違法である。
四 そればかりでなく、被告の主張する雑所得(日本グラモフオン等からの所得)四万一、二〇九円は課税所得ではない。
旧所得税法第二六条第一項第一号によれば、「一の給与の支払者から給与所得の支払を受ける場合であつて、その他の所得が五万円に満たない場合」は、確定申告書を提出する義務がないと定められている。その趣旨は、給与所得者が他から得る五万円未満の所得については、申告義務を免除するだけでなく、たとえ申告しても所得税を課さないということである。けだし、法が、真面目に申告した者からは徴税し、これをしなかつた者からは徴税しないというような課税団体の恣意を許すものとは考えられないし、申告する義務はないけれども申告すれば課税所得となるというのもまことに奇妙だからである。したがつて原告の日本フイルからの収入が給与所得に当るとするならば、前記雑所得は非課税所得であるというべきである。のみならず原告は前記のとおり全収入を事務所得として申告したのであるから、被告がこれを給与所得と雑所得に二分したうえ、雑所得について申告があつたものとみるのは、納税者たる原告の意思を無視した行き過ぎた解釈というべきであり、むしろ通常の例に従い申告がなかつたものとして処理すべきが当然である。それゆえ、五万円未満の所得につき申告なきにかかわらずこれを加算してなされた本件更正処分はやはり違法である。
第五原告の主張に対する被告の反論
一 所得の種類について
原告は、昭和三六年以前において本件と同種の所得を事業所得として確定申告したのに対し更正がなされなかつたこと並びに本件収入に要した経費が給与所得控除額を超えることから、右収入が事業所得に当ると主張するが、前年までの申告に対して更正がなされなかつたのはたまたま税務調査が行届かなかつたからにすぎず、また、経費の点については、原告主張の費用のすべてが必要経費であるとは認めがたいので、果して法定の給与所得控除額を超える必要経費を要したかどうかには疑問があるうえ、仮に原告主張のとおりであつたとしても、所得の分類は、それを得るのに要した経費の多寡によるのではなく当該所得の発生の態様によるものであつて、それによると原告の収入を事業所得と認めえないことはすでに述べたとおりである。原告は、更に、職業野球選手の所得についての通達をひいて、その所得が事業所得とされていることから、原告の所得もすべて事業所得と認めるべきであると主張する。しかしながら日本グラモフオン等からの所得を事務所得ではなく雑所得としたのは、この程度ではまだ社会通念上事業とは認めがたいからであるし、また、日本フイルからの所得についても、これを職業野球選手の所得と較べてみると、次のような大きな差異があり、とうてい同一に取り扱うことはできない。すなわち、職業野球選手のえている報酬は、参稼報酬と呼ばれ、単なる労務の提供ではなく、当該選手の有する独特の職業的な技能をもつてある年の一定期間内における選手権試合等に参稼し、プレーをすることに対する報酬であり、選手は、年度毎に契約された報酬総額のほかに、特定の試合における純益の分配を受けるだけで、原告のように賞与や退職金の支払いを受けることはない。しかも、職業野球の場合にはチームとしての成績だけではなしに、個々の選手自体とその一つ一つのプレーにも多大の関心と興味が寄せられているので、各選手の報酬には、通常の賃金等にはみられない程の高低の差があるばかりでなく、ある特定の選手の報酬をとつてみても、ある年度の報酬とその次の年度の報酬との間には、その選手の技能の進歩や人気の高低に応じて非常に大きな差異が認められる。これは、職業野球選手の報酬が、雇傭契約にもとづいて提供される労務の対価として通常その地位や経験ないしは勤続年数に応じて支払われる普通の賃金等とは違い、当該選手が契約に従つて提供する具体的なサービスに対する報酬として、事業所得であるサービス業の所得と同視しうる性格をもつていることを示すものである。これに反して、原告が楽員として参加する日本フイルの放送や演奏会等は通常楽団全体としての評価を受けるだけで、指揮者などの特殊な出演者は格別、個々の一般の楽員の演奏にはあまり関心が抱かれていない。そこで、日本フイルとしても、客演指揮者や特殊楽器の奏者等の特別契約楽員などのほかは、雇傭契約によつて楽員から労務の提供を受け、これを放送や演奏会等に参加させているのであつて、同人らに支払われる「基準賃金及びその他の手当」は通常の賃金等とその性格上なんら差異のないものと解される。したがつて、原告の所得を職業野球選手の所得と同様に取り扱わないことをもつて憲法第一四条に違反するというのは全く当らない。
二 所得の計算について
原告は、日本フイルからの収入を給与所得としても、日本グラモフオン等の収入から控除未済の経費を給与所得損益通算すべきであると主張する。しかし、原告主張のような必要経費の発生自体疑わしいばかりでなく、もともと日本グラモフオン等の収入(雑所得となるもの)から控除される経費は、原告がその年中に支出したすべての経費ではなく、日本グラモフオン等からの収入に対応する経費に限られるのであり、更に、日本フイルからの収入(給与所得となるもの)からは旧所得税法第九条第一項第五号に定められた給与所得控除額だけが差し引かれることとなつているので、本件において雑所得と給与所得との間で損益を通算する余地はない。
三 日本グラモフオン等からの所得が非課税であるとの点について
旧所得税法第二六条第一項第一号の規定により原告が日本グラモフオン等からの所得(雑所得)につき確定申告の義務を負わないことは認める。しかし、右規定は、給与所得以外の所得が同号に該当する場合に、徴税費用との釣合いから確定申告の義務を負担させないこととし、あえて申告するとき以外は徴税手続を進めないことにしたものにすぎず、決して当該所得を非課税としたものではない。このことは同法第六条が非課税所得を列挙していることからみても明らかである。したがつて、右申告義務を負わない所得であつても、納税者がなんらかの理由によつて(たとえば災害等によつて雑損控除の適用を受けようとする場合など)確定申告書を提出するか、あるいは本件のように自主的に確定申告書を提出して納税義務の確定を求めている場合には、右所得は当然に課税標準たる総所得金額に含まれるべきものである。
第六証拠関係<省略>
理由
一、原告が株式会社文化放送の一部門である日本フイルの正楽員たる身分を有するバイオリン演奏家であり、昭和三七年中に右日本フイルから九三万六、三五九円、日本グラモフオン等から合計四万一、二〇九円の収入を得たので、これを事業所得として、原告主張のとおり昭和三七年分所得税の確定申告をしたところ、被告が昭和三八年一〇月三一日右日本フイルからの収入を給与所得とし、日本グラモフオン等からの収入を雑所得として本件更正処分をしたこと、これに対し、原告は所定の不服申立期間内に被告に異議申立てをしたが、三箇月の経過により東京国税局長に対する審査請求とみなされ、昭和四〇年三月二四日同局長の棄却裁決があり、その裁決書謄本が同月三〇日原告に送達されたこと、以上の事実は当事者間に争いがない。
二、原告は、まず、原告の前記収入がすべて事業所得に当ると主張するので、最初に所得の種類について判断する。
(一) 旧所得税法(昭和四〇年法律第三三号による改正前のもの)第九条第一項は、個人の所得をその発生態様ないし性質の如何によつて一〇種類に分け、「商業、工業、農業、水産業、医業、著述業その他の事業で命令で定めるものから生ずる所得」を事業所得とし(第四号)、「俸給、給料、賃金、歳費、年金、恩給及び賞与並びにこれらの性質を有する給与」を給与所得とし(第五号)、更に同項第一号ないし第九号以外の所得を雑所得としている(第一〇号)。そして、旧所得税法施行規則(昭和四〇年政令第九六号による改正前のもの)第七条の三は、右の事業所得における「事業」に当るものとして、一一の業種を例示するとともに、その他「対価を得て継続的に行なう事業」と定めているが、そこに例示された業種との関連において考えると、右にいわゆる「対価を得て継続的に行なう事業」とは、自己の危険と計算において独立的に営まれる業務で、営利性、有償性を有し、かつ反覆継続して遂行する意思と社会的地位とが客観的に認められるものをいうものと解される。これに対し、給与所得は、雇傭又はこれに類する原因にもとづき非独立的に提供される労務の対価として受ける報酬及び実質的にこれに準ずべき給付を意味するものであつて、報酬と対価関係に立つ労務の提供が、自己の危険と計算とによらず他人の指揮命令に服してなされる点に、事業所得との本質的な差異がある。したがつて、提供される労務の内容自体が事業経営者のそれと異ならず、かつ、精神的・独創的なもの、あるいは特殊高度な技能を要するもので、労務内容につき本人にある程度自主性が認められる場合であつても、その労務の雇傭契約等にもとづき他人の指揮命令の下に提供され、その対価として得られた報酬もしくはこれに準ずるものであるかぎり、給与所得に該当するといわなければならない。
(二) そこで、右の見地から、まず、原告の日本フイルからの収入についてみると、成立に争いのない甲第二、第三号証、乙第一ないし第五号証及び原告本人尋問の結果を総合すれば、次のような事実が認められる。
日本フイルが株式会社文化放送の一部門であることは前記のとおりであるが、同フイルの楽団運営規程(乙第三号証)によると、演奏団体としての同楽団は、指揮者、正楽員、準楽員、特別契約楽員及び研究員によつて構成され(第七条)、楽員として入団しようとする場合には、事務局に入団申込書等を提出し、技能の審査を経たうえ、右審査及び運営委員会の詮衡の結果にもとづき、理事長が入団を決定し、その身分を定めて契約することとなつている(第一六条)。原告は、右の手続により昭和三二年日本フイルに入団し、正楽員の身分を有するもので、その契約書(乙第一、第二号証)によると、原告は楽団の行なう放送、定期及び臨時の演奏会、オペラ、バレエの伴奏、地方公演、レコード録音その他並びにそれに附随する練習に運営規程の定めるところにより従事する義務があり(第一条)、これに対し毎月二五日に定額の「基準賃金及びその他の手当」の支給を受け(第二条)、契約の有効期間は毎年七月一日から翌年六月三〇日までの一箇年間であるけれども、期間満了の一箇月前に当事者のいずれかより更新拒絶の通告をしないかぎり自動的に契約が延長されるものとされている(第三条、第四条。なお、運営規程第二二条)。そして、右の服務に関する運営規程の定めをみると、楽員は、あらかじめ事務局より示されたスケジユールに従い、演奏及び練習に一箇月一一〇時間まで従事しなければならず(第二三条)、右の勤務時間については演奏と練習とによつて詳細な計算方法が定められ(第二四条)、楽員の休日は一箇月四日以上、年六八日以上スケジユールによつて示され、そのうち一四日間は連続して、あるいは二回に分割して与られるほか、休暇、欠勤、休職、表彰に関する規定もあり(第二五条ないし第二九条の一)、楽員が右規定に違反したとき、又は不正不義その他楽団に損害を及ぼし、楽団の信用を傷つけるような行為があつたときは、契約解除、減給、譴責、訓戒等の制裁を受けるものとされており(第二九条の二)、なお、楽員が演奏等のため出張するときは出張旅費規程(乙第四号証)により交通費、日当、宿泊費を支給され(第三九条)、また、退職の際は別に経理規定の定めるところにより退職金の支給を受けることができる(第三七条)。原告は、以上のような契約にもとづき、入団以来毎年契約を更新し、月平均九〇時間前後日本フイルの演奏及び練習に従事し、その間前記「基準賃金」は逐年増額されて、昭和三六年七月一日から昭和三七年六月三〇日までは月額五万六、五〇〇円、昭和三七年七月一日から昭和三八年六月三〇日までは月額六万一、〇〇〇円となり、そのほかに若干の通勤費と年四回程度の賞与の支給を受けこのうちから毎月健康保険料、厚生年金保険料及び源泉所得税等を控除されていた。そして、本件係争の日本フイルからの所得は、昭和三七年中に支給された右「基準賃金」通勤費及び賞与の合計額である。
以上のように認められ、前掲甲第二号証中日本フイルに退職金制度がない旨の供述記載は採用せず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。
右認定の事実によれば、原告の日本フイルからの本件所得が原告の危険と計算において経営される事業から生じたもの、すなわち事業所得であるとはとうてい認められず、まさに同フイルとの雇傭契約にもとづき所定の演奏及び練習という労務に服することの対価もしくはこれに準ずる給付として支給されたもので、給与所得に該当するというべきである。原告の日本フイルにおける演奏及び練習が音楽家としての芸術的活動であり、その服務についても通常の勤労者のように日々一定の時間拘束されるものではなく、楽団の定めたスケジユールに従う以外は他社出演その他の行動が自由であるというようなことは、前記(一)の説示に照らし、原告の同フイルからの所得の性質を右のとおり認定することをなんら妨げるものではない。
これに対し、原告は、原告が演奏家として活動するのに要する費用をいわゆる給与所得控除額で賄うことは不可能であり、このように類型的にみて必要経費が給与所得控除額を超える職業の者は給与所得者とみるべきでないと主張する。たしかに、前掲甲第二、第三号証及び原告本人尋問の結果に弁論の全趣旨を合わせると、原告らのような音楽演奏家は、自己の使用する楽器や演奏会用の特殊な服装等を自ら用意するのが普通であり、また技倆向上のための研究費等も必要であるなどのことから、職業費ともいうべきものが一般の勤労者より多くかかり、それが給与所得控除額を上廻る場合もありうることは否定できないけれども、先に述べたとおり、法は所得の発生態様ないし性質の如何によつて所得の種類を分類しているのであり、必要経費の多寡を所得分類の基準としたものとは解されないから、多種多様な給与所得者につき収入額に応じた一定の給与所得控除(これは必要経費の概算控除の意味を含んでいる)しか認めないことの立法政策上の当否はともかく、給与の支給を受ける者の支出する経費が右の控除額を超えるからといつて、それだけで給与所得者に当らないとすることはできない。
また、原告は職業野球選手の労務ないし所得と音楽演奏家のそれとが類似することを指摘し、通達及び課税実務上職業野球選手の所得がすべて事業所得とされているのに、演奏家の所得がそれと異なる取扱いを受けるのは不平等であると主張する。しかしながら、職業野球選手は球団との契約にもとづきチームの一員として試合に出場し、練習に従事するものであるとはいえ、一般に職業野球の場合にはチームの成績と並んで選手個人の技能と個々のプレーが興味と関心の対象となり、選手が球団から受ける報酬も当該選手の技能の進歩、成績、人気の高低によつて大きく在右されるものであることは顕著な事実であつて、それはあたかも一般芸能人の出演料などと同様、選手個人が契約に従い自己の責任と計算において提供する具体的なサービスに対する報酬たる性質をもつと認められるのに反し、前認定の事実と原告本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によれば、原告ら日本フイルの一般の楽員については、右のような個人的色彩はほとんどなく、その報酬も楽団の定めたとおりに労務を提供すること自体に対して支払われるもので、原則として勤務年数に応じて逐年増額され、生活給的要素を顕著に有する点において、職業野球選手の報酬とは異なることが認められる。このように職業野球選手の所得と原告の日本フイルからの所得との間には税法上の所得分類の見地から重要な差異が認められる以上、他に類似の点があるにしても、原告の右所得を事業所得としなかつたことをもつて法の下の平等に反するということはできない。なお、原告が昭和三六年以前において毎年日本フイル等からの同様の所得を全部事業所得として確定申告し、これに対して更正がなされなかつたことは被告も認めるところであるが、他に特段の事情が認められない本件においては、そのことのゆえに本件更正を行なうことが許されないと解すべき理由はない。
(三) 次に、原告の日本グラモフオン等からの収入についてみると、右収入が同社等からの随時の個人的依頼に応じて出演したことに対し、その都度支払いを受けた報酬であつて、原告と同社等との間に雇傭その他の従属的関係がなかつたことは原告本人尋問の結果と弁論の全趣旨により明らかであるから、これを給与所得と解する余地はなく、また、原告の日本フイル以外への出演が社会通念上原告の事業といいうるほどの客観性、継続性を具えていたとも認めがたいので、事業所得にも当らず、結局、旧所得税法第九条第一項第一〇号の雑所得であるとするほかはない(同項第一号ないし第九号のその余の所得に当らないことはいうまでもない)。もちろん、日本グラモフオン等における演奏も、原告のバイオリニストとしての活動であるという面からみれば、日本フイルにおけるのと格別違いがないが、提供する労務の内容自体が同様であつても、それがいかなる関係において行なわれるかによつて所得の種類を異にすることは上来述べたとおりであるから、この点の相違により日本フイルからの所得と日本グラモフオン等からの所得とが別種のものとされるのは当然のことである。
三、原告は、更に、原告の本件所得が事業所得に当らず、給与所得と雑所得とに二分されるとしても、これらの所得を得るのに合計三四万二、一四八円の経費を要したから、このうち本件給与所得控除額一二万円を超える分はすべて雑所得の経費として所得金額を計算すべきであると主張する。
しかしながら、原告本人尋問の結果によれば、原告が昭和三七年中にバイオリン一台を一五万円、バイオリンの弓を六万円で購入したことは認められるけれども、償却期間の関係上その全額を同年中の経費とみることはできないし、ほかに必要経費をどれほど支出したかについてはこれを具体的に確認しうる証拠がない(原告が経費算定の基礎となしうる資料をなにも備えておらず、右原告の主張額も総収入金額の三五パーセントを経費と見込んで計算したものにすぎないことは、原告の自認するところである)。のみならず、仮に原告がその主張のような費用を支出したとしても、そのほとんどが本件給与所得(日本フイルからの所得)と雑所得(日本グラモフオン等からの所得)の双方を得るための共通の費用であつて、それぞれの所得に対応する経費がどれだけであるかは全く不明であるところ(この点も原告は認める)、旧所得税法第九条第一項によれば、所得金額の計算上給与所得については収入金額から同項第五号イないしハ所定の給与所得控除額を控除し、雑所得についてはその収入金額から必要経費を控除するものと定められているから、給与所得と雑所得の双方を得るのに要した共通の費用が給与所得控除額を超えるからといつて、残額をすべて雑所得の経費としてこれから控除すべきであるということはできず、当該雑所得に対応する経費の額をなんらかの方法によつて算定しなければならない。
そこで、本件においては、前記のとおり経費の実額を算定する基礎となる資料が存在しなかつたので、被告は、「楽士」についてのいわゆる所得標準率(成立に争いのない乙第六号証の一ないし三)により、本件雑所得の収入金額四万一、二〇九円の二五パーセントに当る一万〇、三〇三円をその経費と推計したものであり、原本の存在及び成立に争いのない乙第七号証によつて認められる所得標準率の作成方法等を勘案すれば、他に特段の事情がないかぎり、被告の右標準率による推計を不合理であるとすることはできない。してみると、本件の場合は、所得金額の計算につき損益通算を行なう余地はなく、この点に関する原告の主張は失当である。
四、最後に、原告は、本件所得が被告主張のとおり給与所得と雑所得とに二分されたものであるならば、旧所得税法第二六条第一項第一号の場合に該当するから、五万円未満の雑所得を課税標準たる総所得金額に含めて更正したのは違法であると主張する。
旧所得税法第二六条第一項第一号は、一の給与の支払者から給与所得の支払を受ける場合であつて、その他の所得の金額(退職所得の金額を除く)が五万円に満たない場合には、総所得金額及び山林所得の金額に対する所得税について確定申告書を提出することを要しない旨定めているが、この規定は、給与所得については、所得税が源泉徴収され、年末調整により確定申告による方法に準じて年税額の精算がなされる関係上、他に少額の所得があつた場合にすべて申告義務を負わせて重ねて精算を行なうことはかえつて煩雑になるので、税負担の均衡を害しない限度で給与所得者の手数を省き、かつ税務執行の簡素化を図る見地から、確定申告書の提出を要しないとしたものである。換言すれば、申告納税制度の下において、右のような給与所得者に対し確定申告書の提出義務を免除することにより、五万円未満のその他の所得につき確定申告書の提出を前提とする徴税手続を進めないこととしたものであつて、それ以上に右五万円未満のその他の所得をおよそ非課税とする趣旨でないことは、同法第六条及び同条の二が非課税所得を列挙していることからみても明らかである。
したがつて、五万円未満のその他の所得を有する給与所得者がなんら確定申告書を提出しないのに拘らず、これについて課税庁が決定処分をすることは許されないが(国税通則法第二五条)、給与所得者がなんらかの理由により進んで確定申告書を提出した場合、たとえば旧所得税法第一一条の四、五、第二八条により雑損控除、医療費控除等の適用を受けるため、あるいは本件のように同法第二六条第二項により過納税額の還付を受けるため確定申告書を提出したような場合には、一般の所得について確定申告書が提出された場合と同様の原則によつて、当然右五万円未満の所得も含めて課税標準たる総所得金額が計算され、もし申告書に右所得の記載がなく又は過少であるときは、これを加えて正しきに従つた更正が行なわれることとなるのである。それゆえ、右五万円未満のその他の所得が確定申告書の提出の有無に拘りなく常に非課税であるとの原告の主張は採用しがたい。原告は、更に、仮にそうであるとしても、本件では、すべての所得を事業所得として申告したのであるから、前記法第二六条第一項第一号の適用上これを給与所得と雑所得の申告があつたものとして扱うことは当事者の意思解釈からしても許されないと主張するが、所得の種類について誤解ないし誤信があつたにせよ、それによつて原告の本件確定申告書の提出が無効となるものではないし、また、一旦確定申告書を提出した以上、更正によつて予期しない不利益を受けることになつたからといつて右申告書の提出がなかりしものとするわけにはいかない。前記法第二六条の規定は、確定申告書を提出するかどうかについて納税者の選択を許したものではあるが、すでに右申告書が提出された後においてまで納税者の意思によつてこれを左右することを認めたものとはとうてい解されない。したがつて、本件更正処分が五万円未満の雑所得を給与所得に加算して課税標準たる総所得金額を算出したことはなんら違法ではなく、原告の主張は採用することができない。
五、以上のとおり本件更正処分の違法事由として原告の主張するところはいずれも理由がなく、他に右処分を違法とすべき点はない。よつて、右処分の取消しを求める原告の本訴請求を棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 緒方節郎 小木曾競 佐藤繁)